熊野九十九王子のうちで最も重要視された王子の一つで、社格の高い五体王子であった。川の合流点にあたり、古道は背後の剣ノ山へ登るが、ここが熊野の霊域の入り口とされていた。参詣者は川でみそぎをし、社前で経供養や里神楽が行われ、後鳥羽上皇は和歌会を開いた。正治2年(1200年)の際の熊野懐紙11葉は分散して現存する。神宝の黒漆小太刀は国指定の重要文化財。